製本
昨日買った本。手本というか例題の文書の写真が掲載されていてそれをみながら書き写したりして練習するのだが よく見ると見開きになっていてちょうど綴じ代に文章があり 完全に埋まってしまっていて見えない。あれっ これ製本するときの状態を考慮してないなぁ と思い 他の箇所もみるとやっぱり 埋まっているもしくは 半分しか見えない。これじゃ はかどらない 気力が失せる。出版社に その旨 手紙で送ったが さて どういう返事がくるのやら…
書店
江戸三十三観音 第十三番札所 護国寺
本日
さて 今日は何があったかなぁ と ブログ画面を開くが とくに記すこともなく いつもどおり マンネリの益に あずかっている。そぉ 格安床屋にいって髪を切ってもらった。10分ほどで終わってしまう。床屋談義もなく 黙々とハサミをつかう主人、黙って刈られている自分、余計なおしゃべりもなく まったく苦にならない床屋である。
向島文化サロン
向島文化サロンでの講演で渡辺憲司先生の『無念の旅紀行』第1回「忠臣蔵・武士道・吉良義周」を聴く。雑誌‘東京人’に掲載された「討ち入り後」の吉良家の物語-吉良佐兵衛与義周のその後-を米沢、吉良、諏訪をめぐり義周の足跡をたどった墓誌紀行で上杉家との関連やその土地での吉良に対する思いなど独特の話術をもって話されていた。赤穂事件は芝居や物語にあるように吉良方は一方的に悪者にされているが真実はどうだったのか 贔屓が真実を曲げているかもしれない。子孫はさぞかし無念であるだろう。村上鬼城の句「行く春や憎まれながら三百年」や杉浦日向子の「大義が殊更物々しく持ち出される時人が多数死ぬ。快挙とも義挙とも はた壮挙とも云われる義士の討入はまぎれもない惨事だと思う」の 言葉を交えながら最後に《赤穂事件を義挙と呼ぶ、そんな歴史も物語も繰り返されてなるまい-。戦いの大義名分は、勝者を賛美し、敗者の思いをことごとく消し去ります。しかし、消し去ってはいけないと、吉良一族の墓は叫んでいます。》で締めくくられている。
遠景
夕暮れ
冬の夕暮れは早い。草加歴民講座が終わり電車で帰宅するのだが 途中車窓から見る西の空が夕焼けに染まってきて 近くの住宅や遠くのビルの切れ目から富士山のシルエットが見えた。少しの間だが たいへん美しいと思った。家に着きベランダから東の空をみると満月が昇り始めていた。これもすごく大きく黄金色に輝いて自然の美しさに見とれてしまった。
歳末
12月も中頃になってきた。若きサラリーマン時代は通勤の帰りにはジングルベルの音楽が鳴り響きクリスチャンでもないのにクリスマスとか忘年会などで気分が浮ついていたが 最近はあまり感じることがない。慌ただしかった高度成長期は昔の夢になっている。