学童の成長
高学年になるにつれて自我にめざめ 自分を主張してくる。それがエゴイズムに傾くと 他人を無視したり誹謗したりする。傍らから見ているとそれがよくわかる。成長過程の通過点ではあるが どこで注意するか叱るか 線の引きかげん 匙加減が難しい。ここは教育や躾の場所ではないがどうしても拘りが出てくる。教鞭とはよくいったものであるが 今では ちからわざはできない。教員もさぞかしたいへんであると推測する。
暑い日
また暑い日が戻ってきた。会議が駐車場のない いつもと違うコミニュテイセンターで開かれたので自転車で出かける。終了後センターまであしをのばすと汗びっしりだ。帰宅して風呂に入り夕食にビールを飲むと めちゃくちゃおいしい。その後テレビをみながら寝てしまい いまおきてきた。なんか一日がはやくすぎてしまったよう。
泥んこ遊び
朝 激しく雨が降り 昼からは晴天 放課後の校庭は水たまりができている。それでも 子供たちはサッカーなどして遊んでいる。なかには泥団子を作って投げ合うものもいる。双方泥だらけになっているがそのまま 遊ばせておいた。遊び終了時に洗面所で手足の泥を洗うが衣服まで泥んこ で 母親にしかられるといって 水洗いしていたが どっちみち ばれるのだが 子供はやはり子供だね。でもこれくらいの遊びは させても良いと思う。衣服が汚れるくらい遊ぶのもそれはそれでいい。元気いい子供たち。
心配の種
先日まで 暑い暑いと騒いでいたのに また雨が続き気温も涼しいほどになり 梅雨が戻ったかのよう。各地で雨の被害が出ている。降らなければ降らないで渇水を心配し 降れば降ればで水害の心配。列島は心配の種でいっぱいだ。
こどものこころ
学童クラブの子供たちに対する指導のさじ加減について。元来、学童クラブの趣旨は放課後、親たちが共働きや母子家庭などで 家庭で保護できない子どもたちの支援としての場所であり。教育や躾などを主とするものではないのだが 子どもたちの生活をある程度規則づけて 指導するのであるが 子供たちが学童クラブに来るのは学校や家庭の延長としての規則でしばられるのを望んでいないのが当然だろう。登室するや すぐにはじけているのは そのあらわれである。ここで あまり軌道を外すもたちは 当然いると心がけておかなければいけない。かといって 強権をもって押さえつけるのも 趣旨に反する。ここでの手綱をさばく程度の問題がでてくる。そのときに規制しなければ つぎのときあのときは こうだったと 子供たちは 屁理屈をさげて 不満がる。ここで一喝すれば 子供たちに理解させずまま終わってしまう。大人の世界と違うところがある。自分たちも通ってきた道であるが 子供目線と大人目線を天秤をかけるのもなかなか難しいものである。
七夕
教室の外廊下に七夕の笹が立てられていて。枝々には 短冊や飾り物が下がっている。いろんな願い事やメッセージ。まだ読んでないが 読めば子供たちのこころが見えるかも…。
夕食
久しぶりに廻る寿司屋へ夕飯に行く。暑気払いに生ビールを飲む これは自動販売機になっていて ジョッキーを置いてお金を入れるとビールをついでくれる泡もうまく載せてくるのには感心する。ついついメートルがあがってしまう。廻る寿司屋には適当な肴としてテンプラなどもある。食しはしないが うどん、うな丼 いろいろあり。もはや寿司屋というより大衆食堂だが 品揃えも多く その上 安価で庶民には 居心地はいい。