SSブログ

未考察

今朝の毎日新聞の社説に「教員の長時間勤務改善」の記事が載っていた。以前からおもっていたのだが教員は聖職者のようであり また労働者でもある。記事は労働者としての教員についての労働の過酷さを解決するには「教員の仕事には切れ目がない」という学校文化を変革して事務などをサポートするスタッフなどを充実させ必要な仕事を絞り込み子供たちに質の高い授業をすることが重要だ…との説。
たしかに一人で数十名の子供を教育するのは並大抵ではない。子供ひとりひとりの気質性格も違い それぞれに対応した教育を与えなければならない。それには個々に応じて褒めることも叱ることも必要だ。でもどうしょうもない子供もいるのもたしかだ。躾の問題は家庭であるがそれを学校教育の場にすべて転嫁されるのは存外だ。叱責すれば行き過ぎだといわれ 学力が下がれば甘やかしすぎなどと言われて立つ瀬がない。自分の子供のころは先生は絶対的な存在で教鞭をうけたのは当たり前であったし。それによって文句をいうどころか 親は当然のことと学校教育を理解していた。その時分は教員を聖職者として尊敬されていた。いまはどうだろうか、ただの労働者になっている。
夕刊には 叱責されて自殺したのは厳しい叱責が不適切だとの記事。線引きが難しい やるせないきぶん。親でもわからない子どもの心、責任の所在 は?。考えがまとまらない あぁ せつない…。
nice!(6)  コメント(0)